後期第一回ゼミ

 正直全員で集まるのが久しぶり過ぎて夏休みあった人以外ほぼ忘れていたけど、夏休みの思い出話がみんな似ていて親近感を感じた。(癖の強い人も若干いたけど)

まだ夏休み気分があまり抜けていなかったからふわっとするかと思ったけど先生が改めてゼミの方針などを話し始めて自分的にはすごくモチベーションが上がったし、これからの活動にわくわくした。

でも一番気合入っているのは運動会かなと自分の中では思っている。(競技とかは全く知らない) 

なんにせよ後期も充実した生活を送りたい。

 忘れていたけど、「何だかやってみたいこと」は連休中考えていたけど、なかなか思いつかなくて思いついたときにブログに書こうと思います。

f:id:falcosa15:20170806224319j:plainこの観察はバイトの休憩中にしたものだが結構面白かった。この用紙には11個しか載せてないが本当は30個ぐらいあった。(ループ) 

結局お客さんが来るタイミングは同じで何回も同じことが起きているのに、バイト中は全く気付かなかった。 外から見ると自分のしているバイトの違った一面を見ることができた。

第三回ゼミ

f:id:falcosa15:20170711213222j:plain二週間ぶり?くらいのゼミ。今回は今度行く観察の前段階で当日の持ち物や把握しておいた方がいいことを話し合った。自分はハンカチ、ティッシュなど遠足みたいな物しか思いつかなかったけど周りは視点を下げて話すとか自己紹介、優しい笑顔などさすが女の子みたいな意見が結構出た。その中で観察中に観察対象を褒めるのはいいのかという話題は家に帰ってからも少し考えた。話し合いにも出たように褒めると相手の行動が変わってしまうっていうのはその通りだと思ったけど、逆に全く褒めなかったらそれもそれで行動が変わってしまうんじゃないかみたいなこれは自分の中でまだ解決できていない。あと仮説をあらかじめ立てるっていう意見はこの前のセミナーで学んだことを生かしていていいなーと思ったり。なんにせよ今度の観察はもうちょっとうまくできそう。

2日間の研修を振り返って

 先週の金曜日、土曜日にUXデザイン講座というものに参加させてもらいました。会場に学生は自分たちだけで想像とは全然違う雰囲気だった。講義が始まると、みんなパソコンを広げてメモを取っている感じで紙メモだった自分はまだまだ子どもだなあと感じた。話の内容としてはサービスデザインの原則や提供価値になるまでの道筋など様々なことを教えていただいたが、分かったような分かってないような(おそらく一割理解できたかできてないか)という感じで今は自分のメモの整理に追われている。二日目の土曜日は実際に天神に観察に行ってきたのだが、暑さもあって本当に大変だった。観察の方法やそのあとの概念化など、これからの活動に生かせるものをたくさん教われた二日だったので機会を頂けたことに感謝したい。

第二回ゼミ

  4限終わりに研究室の前に行くと札も講義中になっていたので何人かで待っていたんだけど途中で電気がついてるのに気づいて一応ノックしてみたら普通に先生いてちょっと心の中で笑ってしまった。正直この気持ちを誰かと共有したかったけどタイミング失って若干辛かった。

 そんな感じで研究室とは別の教室で活動することになったのだが、先生が来る前にちょっと面白いことがあった。それはいきなり広くなった教室でどういう風に座るかという問題で最終的には先生が机をくっつけて班みたいにという指示だったが、先生が来るまでは「まばらに座る?」とか言い合って結構盛り上がっていた。

 そんなこんなで始まった今日の活動の内容は「絆創膏」を題材にしたもので、観察の練習だった。具体的には利き手をけがした設定の人を決めて、けが人役は片手で絆創膏を貼る。それを残りが貼るまでの行程やそのときのけが人の気持ちなどを観察する。簡単そうと最初は思っていたが、やってみると全然追いつかないし、情報量は少ないしで大変だった。あと、自分がけが人役の時はなかなか絆創膏を貼ることができなかったのでいい実験台になったような恥ずかしいような複雑な気持ちだった。次にそれを踏まえた新商品を1つグループで作ったのだが、機能を考えることに執着し過ぎたということは聞いていてなるほどと思った。まだほんの少ししか触れていないが「観察」というものは奥が深いと感じた日だった。これから回を重ねて何でも吸収していきたい。

  今日はゼミ活動初日でなかなか緊張したけど、一番よかったのは昨日の悲劇の悔しさを先生に話せたことだと自分の中で思ってしまった。

 あと感じたのは普段の自分や、自分の能力を最大限発揮するのは難しいということ。また、継続の大切さを少し思い出した。

 

 自分は○○さんになりたいかについて

   私は気付くさんになりたい

 なりたいというよりはそうでありたいかもしれない。